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ユダヤ博物館
『ギリシャへの扉』に「ユダヤ博物館」の記事をアップしました。

ユダヤ人の装束


かつてギリシャには8万人近くのユダヤ人が住んでいたのですが、第二次世界大戦中ギリシャがナチス・ドイツに占領されていた間にほとんどが強制収容所に送られ、虐殺されてしまいました。殺されはしなかったもののギリシャを後にした者たちもあり、現在、ギリシャのユダヤ人人口は5千人以下に過ぎません。

プラカにあるこのユダヤ博物館には、ギリシャにおけるユダヤ人の歴史を示すものが展示されています。誰が見に行っても興味深いという種類の博物館ではないかもしれませんが、ユダヤ人の歴史に興味がある人のみならず、ギリシャの近現代史に関心がある人には是非訪れてみてもらいたい場所です。

この博物館でいい話を読んだので、ご存知の方も多いかもしれませんが、そうでない方のためにここでご紹介したいと思います。






ドイツ人がユダヤ人をギリシャから連れ去る時、ギリシャ人の多くは静かに抵抗をしました。逃げているユダヤ人をかくまったり、ギリシャの警察はユダヤ人に偽物の身分証明書を発行してユダヤ人であることが分からないようにしたり、ユダヤ人の子供を自分たちの子供として引き取って、強制収容所に送られないようにしたりです。また、アテネ大主教だったダマスキノスという人は、公の場でユダヤ人の強制連行に反対しました。

しかしながら、被占領国の辛いところで、ギリシャ人の意思は無視され、すでに書いたように、多くのユダヤ人が虐殺されてしまいました。

そんな中、ユダヤ人が全く連れ去られなかった場所が一つあります。それはイオニア海にあるザキントス(ザンテ)島。この島を占領していたドイツ軍の司令官は、1943年、ザキントス市長だったルカス・カレルに、ユダヤ人の名前を記したリストを提出するように命令しました。カレルはなんとかこれを逃れようとしたのですが、ドイツ軍は諦めなかったので、島の大主教であったクリュソストモスと相談の結果、リストを提出しました。そかし、そのリストに載っていた名前は二つだけ。カレルとクリュソストモソスの名前だけでした。クリュソストモスはもちろんカレルもユダヤ人ではありません。司令官は驚いて、更なる指令をドイツの本部に求めました。カレルとクリュソストモスはヒットラーに直接手紙を送り、結局、ザキントス島のユダヤ人を強制収容所に送るようにという命令は取り消されました。

恐らくザキントスのドイツ軍司令官自身もあまりユダヤ人迫害に積極的ではなかったという側面はあったのでしょうが、ザキントスにいた275人のユダヤ人が強制収容所送りを免れたのは、クリュソストモスとカレルの勇気によるところが大きいと思います。

考えさせられるところの多い話でした。

テーマ:ギリシャ - ジャンル:海外情報

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[ 2010/04/14(水) 19:00 ]

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